ゼットンの直立二足歩行

当ブログは、アニメ・小説・ゲーム・漫画・Eテレ番組などの感想を、どこまでも理屈っぽく、ねちねちと書くことを目的としております。ときどき、何かに噛みつくかも知れませんが、本人はじゃれているつもりです(「・ω・)「ガオー

【ネタバレ】たまこラブストーリーについて(感想)【今更】

※ネタバレ盛りだくさんです※

 たまこラブストーリー、割と好評ですよね。

もうすぐ上映が終わりそうなタイミングだし、既にいろいろ感想を書いたブログも出てて、今更、感想書くのも何なんですが、
個人的に、一緒に見にいった友人には下記のとおり大不評だったのが大変ショックで、本当のところどうなのかな、と思って自分の頭の中の整理のために書きました。

 ○友人の批判

1.テンポが悪い。特に前半(もち蔵が告白するまで)が酷い。
2.女性が作ったんだろうなっていう臭み・もの足りなさがある。
(3.京アニ、相変わらず、キャラの描き分けできてないよね。)

○テンポの問題について

上記のとおり、割とショックだったので、何回か見直して、全場面を可能な限り記憶し、書き起こして、分析してみました。
※なお、この書き起こし・分析は当ブログの別記事として作成したのですが、正気を疑われそうだし(読み返したら完全に狂気の記録でした)、著作権の問題もありそうだし、公開はしないことにしました。

結果、
ア.少なくとも、ストーリー・脚本(場面転換・セリフ回し)は、とてもよく出来ていて、特に余分なものはなく、テンポが悪いとは言えない
イ.一方、作画(カット割り・カメラワーク・視覚効果)の面で、もしかしたら要な演出(ノイズ)が多いのかもしれない

ということかな、と思いました。

 ○ストーリー・脚本の良さについて

「ラブストーリー」と銘打ってはいますが、恋愛というよりも成長に重点が置かれているのかなと感じました。

基本構造としては、
前半(もち蔵が告白するまで)はもち蔵の成長に、後半(それ以後)はたまこの成長に、それぞれ焦点があたりつつ、合間合間で、周囲のキャラクター(特にみどりちゃん)の成長も描かれることで、物語に奥行と陰影を添えており、青春ものとしてとても良かったな、と感じました。

この点、「たまこの」物語としては、前半はあんまり要らないんじゃないか、という感じがあるのかもしれませんが、おそらくこの映画は、
前半でTVシリーズの流れ
・もち蔵の優柔不断さ・未熟さとたまこの安定感の対比
・もち蔵の一方通行
・テレビ最終回の「変わらないことが一番」という命題(と変わることへの不安)
・たまこがもちを好きなことの自明性
を受けた後、告白を境にこれらを全てひっくり返して以後、後半でそのショックからの立ち直りと再構成のプロセスを描く流れとなっている(※)ので、前半を丁寧に描かないとTVリーズとの接続が悪くなり、また、後半の説得力も弱くなるのではないでしょうか。

※「(たまこは、)TVシリーズでは……しっかりしている部分が印象的な子でした。だから、映画でたまこを描くときは、弱いところを見せても良いんじゃないかって」

「……今回の映画のもち蔵がかっこよくて。ちゃんと自分の心に正直でいられるように将来を考えていたというところが。ひとりの男の人として、人として尊敬しています。……みどちゃんの言葉を借りて『見直した。』ですね」

(映画パンフレット:スペシャル対談 監督山田尚子×北白川たまこ洲崎綾 山田監督発言)

※「『たまこまーけっと』において、……たまこの『変わりたくない』という想いがすごく表れていたと思うし、変わらないものの良さが描かれていたと思うんです。……『たまこラブストーリー』はまさに、たまこが『変わりたい、変わらなきゃ』って想いを持ち始めて、たまこが、他の誰でもない自分自身のことで悩んで、一歩成長する物語です」

(映画パンフレット:キャラクター紹介(北白川たまこ) キャストコメント 洲崎綾)

また、女性が描く作品独特の繊細な感情のやりとりの場面が多くあり、中々はっきりと想いを言葉にしないせいで進展が遅く感じる部分もあるかもしれませんが、それは相手との距離感を測る微妙な感性の表れであったり、相手を傷つけまいとする思いやりであったり、自分を主張せず相手を受け止めてあげる優しさであったりするので、それを単に「かったるい」としてしまうのは、少し残念な気がします

○作画(カット割り・カメラワーク・視覚効果)について

僕はこの辺りには詳しくないので、あまり語れることがないのですが、そんな人間でも、
リンゴに対する謎のこだわり(冒頭とEDという重要なシーンで出てくる割に、物語上の意味が特にない、多分、メタファーでもない)

 ・一つのシーンで、わざわざ同じような絵面を別のアングルで二回も表現する五月蠅さ(トイレ前でのみどりちゃんの発言時のカット、不調になってから2日目の餅屋の仕事場をたまこが覗くカットなど)
・絵を描くことそのものが自己目的化し、結果、細部の描写がくどいなと感じるシーンがある(黒板から白い粉が落ちるシーン、京都駅の描写など)
といった辺りがあるのかも、と思いました。

多分、僕には分からないところにもそういうものが色々あって、それらが積み重なった結果、ノイズとして感じられて、嫌がる人も出てくるのだろう、と思いました。

○女性が作っているが故のあれこれについて

友人は、
映像研究会が何をやっているのか、今一つ謎。やりとりもいちいち鬱陶しい。
もち蔵の部屋が非現実的。映像オタならもっと色々グッズがあって雑然としているはず。
といったところを指摘していましたし、これは僕も大体同意です。

しかし、まあ、多分、男性が作ってる作品にも似たような臭みはあるはず、ということと、この作品は基本的には女性的な感性を持っている人向けのものである(※)、という辺りで、まあ、許容範囲ではないでしょうか。

※「17歳の人も、17歳になる人も、17歳を過ぎた人も、自分の思いと少しでも重なる所があるとうれしいなと思います。」

(映画パンフレット:スペシャル対談 監督山田尚子×北白川たまこ洲崎綾 山田監督発言)

※「たまこと一緒に少しでもドキドキして頂けたら嬉しいです」

(映画パンフレット:キャラクターデザイン堀口悠紀子 インタビュー)

 ○キャラの描き分けについて

特に言うことないです。全くもってその通りだと思います。異論なしです、はい。

○【蛇足1】もち蔵について

あのもち蔵が目立ってます」

(映画パンフレット:キャラクター紹介(大路もち蔵) キャストコメントカード 田丸篤志、太字は引用者)

いや、ほんまそれ。よう言うてくれはった。あのもち蔵が、TVシリーズでは、みどりちゃんの言葉を借りるなら、ずっと「たまこの周りをぐるぐる回って」「見てるだけ」だけで、告白するだのしないだの、ウジウジウジウジ右往左往して、かんっぜんに脇役だったあのもち蔵が、遂にいろいろ振り切って告白するなんて、ほんと胸アツでした。

自分のことと周囲のことを考えて一つの答えを出したこと、告白後もたまこに自分の気持ちを押し付けず、そっと距離を取ってたまこの反応を受け止めたこと。

今回、もち蔵は一人の人間として成長したかっこいい「男の人」として描かれており、それはもち蔵がたまこに告白したことを知った史織が「もち蔵くん、すごい」と言ったすぐ後の一瞬のカットに全てが表れている、と感じました。

なお、病院で豆大(たまこ父)に「でも、帰ってこいよ」と言われて、はっとしたのは、このとき、もち蔵は、たまこに振られたという現実を受け止め、東京へ行ったっきり帰ってこないつもりだった、ということなのでしょう、多分。

あと、あんことの距離間とかいいっすよね。一緒に登校してるときに、「もっち ー」が急に走り出して河原で叫びだしても、その後、ちゃんとあんこが様子を見に来てあげるところとか。

○【蛇足2】みどりちゃんについて

「今回はみどりがこの作品の立て役者になりましたね。」

(映画パンフレット:スペシャル対談 監督山田尚子×北白川たまこ洲崎綾 山田監督発言)

 映画を見に行って何度目かのとき、近くに大学生ぐらいの女性二人連れがいたんですけど、「みどりちゃんはもち蔵が好きなのかなって思って見てたんだけど」「うーん、どちらかというとたまこかな、って」「あー、そうとも取れる」「どっちとも取れるよね」「どっちとも取れるね」って会話をしていました。

それぐらいみどりちゃんの感情というのは複雑なのではないでしょうか。たまこのことが好きなのかも知れないけど、恋愛感情なのかはよく分からない。もち蔵のことを嫌っているつもりなんだけど、「好きの反対は嫌いでなく無関心」な訳で、気になって気になって無関心ではいられない。

そんな、友情だとか恋愛感情だとか好き・嫌いだとか、既存の言葉に置き換えられない感情を抱いていて、それがもち蔵にぶつかったときに、物語の大きな原動力になった、と感じました。この辺り、みどりは「自己嫌悪」していますが。

自分としての一番印象的だったシーンは、かんなちゃんと校庭を走るシーンです。ここで、みどりちゃんは何かを叫びますが、これは上記のような名前のつけられない感情を言葉にならない言葉で叫んだんだろうなと思うし、これこそが十代という時期に人が抱く感情の本質ではないでしょうか。

 ○【蛇足3】その他

 ・かんなちゃんは割と周囲の変化に敏感なキャラとして描かれている、と思いました。何も事情は知らないはずなのに、たまこがいつもと違うことに気づいたり、(多分唯一)みどりちゃんの変化に気づいたり。
・かんなちゃんが思い出作りにイベントに出ようとか言い出したのは、多分、進路調査書を提出した直ぐ後だったからなんでしょうね。あと、誰もいないうちにこっそり棚を作ろうとしたのも、何か形になるものを残したかったのだろうな、と。
・「木登りのシーンも高所恐怖症の克服のようでありながら実はみどりのためでもある」(映画パンフレット:脚本 吉田玲子インタビュー)
・史織ちゃんが、「たまこ、大路くんのこと好きなんだ」ってはっきり指摘できたのは、たまこやもち蔵とはちょっとだけ距離がある第三者だからなのかなー、とか。
・同時上映「南の島のデラちゃん」
←これ必要だった?

まとめ

まあ、演出面など、いろいろと突っ込みどころはあるんでしょうが、自分としては、大人でもない子供でもない時期の成長(「他者と自己の理解」)を描いた、とてもいいジュブナイルだったと思いました。

長々と書いてきましたが、もし万が一、ここまで読んでくれた奇特な方がいらっしゃって、多少なりとも共感していただける部分があったとしたら、嬉しい限りです。